熊本地震
やっと身体が回復してきたコーチのてつです。
ミットも2R持てるようになりました。
熊本地震は2016年4月14日と4月16日。
あれからもう4年も経ったのですね。
しかしまた新型コロナという災難がやってきました。
みんなで、なんとか乗り切りましょう。
熊本地震の話ですが、2回目の本震の時は夜中だったのでほとんどの人は寝ていたと思います。
私も寝ていました。
今日はこの熊本地震の時の話を。
寝ていて物凄い揺れと音で、私は飛び起きました。
飛び起きた瞬間に思ったのは
「これはヤバい!二人(妻と桃)を外に逃がさなくては!」
飛び起きて寝ぼけたまま大声で
「逃げろーー!!」
と叫び、一気に玄関までダッシュしました。
妻と桃は、私と違う部屋で寝ています。
私は玄関から一番離れた部屋で、妻と桃は玄関のすぐ横の部屋です。
寝ぼけた頭の中で二人を逃がす為に、”逃げ道の確保”を最優先で考えて動いていました。
二人は玄関横の部屋にいるから
「まず玄関のドアを開けなくては!」
玄関までダッシュしたのですが、物凄い揺れでまともに立てなくて壁に何度も当たりながら、床を這いつくばりながら玄関にやっとたどり着きました。
壁やどこかの角にかなり当たったと思います。床にも思いっきり突っ込みました。
この時に肩と肘を痛めて腕が何週間か上がりませんでした。
あと、あばら骨の打撲と足の指を骨折。
ウチは12階建てのマンションです。
高い分かなり揺れたので、マンションと地面の間が10センチぐらいの隙間が出来ていました。
上の階の人は「部屋の中の物が全部無くなった」と言っていました。
部屋ごと”シェイク”状態だったのでしょう。
でも鉄骨造で頑丈だったので、大規模半壊の判定ですみました。
後からマンション管理組合の会長さんに聞いたのですが、このマンション辺りの地盤は元々弱いらしいです。
ですので、このマンションの鉄骨は太く、地中深く埋まっているそうです。
それでも揺れは相当なものだったので本震の時、他の部屋は玄関のドアが曲がって開かなくなって、夜中の真っ暗な中「玄関のドアをドンドン叩く音」と、
「ギャー」「助けてー」「開けてー」という絶叫がマンション中に響いてる光景は忘れられません。
この地震は場所によって揺れが全然違ったみたいで。
電気・ガス・水道が止まって風呂が入れませんでしたが、地震の何日か後に北区のほうの温泉が営業しているという事を知りました。
その温泉に行った時に聞いたのですが、北区に住んでいるその人は電気も水道も通っているし、
「みんな何をそんなに騒いでるの?」
と思ったそうです。
揺れもいつもの地震より強いかな?ぐらいだったそうで。
北区も場所によると思いますが、その人のその場所の揺れは大した事なかったみたいですね。
この時に、場所によってこんなにも違うという事を知り、とても驚きました。
ウチは西区でこのくらいだったから、益城は想像を絶する揺れだったと思います。
話を戻して、
肩と肘とアバラを痛めて、足の指を骨折して、何とか玄関にたどり着いたものの、
寝ぼけてダッシュだったので頭がまだ起きていないし、
身体中にダメージあるし、
気が動転しているし、
真っ暗だし、
で玄関をまともに開けられませんでした。
全身ボロボロでしたが、そんなの関係ありません。
「とにかく早く二人を外に逃がさないと!」
と、必死で玄関のドアを開けようとガチャガチャバタバタしていました。
しかし気持ちばかり焦ってしまって、鍵の場所がわからずドアを開けきれません!
すると、
しばらくして妻が玄関横の部屋から出てきて、
妻:「はい」
と言って懐中電灯で玄関を照らしてくれました。
私:「・・・・・。」
冷静に懐中電灯を照らしてくれた妻を見て思ったのは、
「あなた達を逃がす為にオレはボロボロなんですけど。そんな冷静に懐中電灯を照らされても(^^;)」
「オレかっこ悪(^^;)」
地震の時は、ある程度は揺れがおさまって動き出したほうがよさそうですね(^^;)
瞬発的に動いたので初動があまりにも早すぎました。
地震で揺れた瞬間にベッドから降りて、クラウチングスタートしたので。
私の家は結果的に笑い話になりましたが、この地震によって大事な人、大事なものを失った人達がたくさんいらっしゃいます。
仮設住宅などで暮らす人は今も3000人を超えているそうです。
熊本地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された皆様が1日も早く元の生活に戻れますよう心から願っております。